実話・辛くて悲しい運命
 
 
 中学のとき以来思い続けていた同級生が精神病になるとは。
 
 中学の時に副級長をしていて、学年で一、二を競う美人で颯爽と生きていた同級生が、私が東京から郷里に帰ったときには、既に精神病になっていたことを知る故もありませんでした。
 
 同級生と信じて疑わなかった女性が、実は同級生ではなく、同級生の妹だったことを知る故もありませんでした。
 
 
 中学の時に副級長をしていて、学年で一、二を競う美人で颯爽と生きていて、多くの男子生徒に憧れられていたその同級生とは、中学を卒業して以来出会う機会がなくなり、その同級生と私とでは不釣り合いなこともあって、もはや縁がないと思いながらも、その同級生のことを心に思い続けていました。
 
 学校に通うために東京で一人暮らしをしているときも、異境の地で、その同級生のことを思い続けていました。
 
 学校を卒業して東京から郷里に帰って、しばらく経ったある日に、その同級生の家の近くを車で偶然?通りかかったとき、その同級生と道で偶然出会い、そのとき同級生は私に微笑みかけました。
 
 そのとき同級生は、色鮮やかな洋服を着ていて、中学の時より更に美しくなっていました。
 
 もはや縁がないと思いながらも、心に思い続けていた同級生に微笑みかけられて、同級生が私になにがしかの好意を持ってくれていることを知り、私は嬉しくなりました。
 
 それからは、街で出会う度に、同級生は私に微笑みかけてくれました。
 
 同級生の姿を車のルームミラーで見たときにも、同級生は私に微笑みかけていました。
 
 歳月が流れたある日、
 
 季節外れの春の嵐が吹き荒れる朝、県道を車で通ると、前方のバス停に、強風に煽られて舞う白いレインコートの裾を手で押さえて立つ女性の姿がありました。
 
 近づくと、その女性は同級生で、私に微笑みかけていました。
 
 そのとき、私は、車を停めて同級生に同乗するように勧めようと思いましたが、思い続けてきた同級生に声を掛ける勇気はなく、躊躇している間に同級生の前を通り過ぎてしまいました。
 
 ルームミラーで後方を見ると、強風に舞うレインコートの裾を手で押さえながら、同級生は私の方を見続けていました。
 
 私は強風が吹き荒れる中、バス停でバスを待つのは大変だと思い、引き返して同級生の所へ戻って、同乗するように勧めようとも思いましたが、引き返して同級生に声を掛ける勇気は出ませんでした。
 
 しばらく経ったある日の朝、その県道を車で通ると、バス停に同級生の姿があり、私に微笑みかけました。
 
 そのとき、私は、車を停めて同級生に同乗するように勧めようと思いましたが、車を停めて、同級生に声を掛ける勇気は出ませんでした。
 
 翌日の朝、その県道を車で通ると、バス停に同級生の姿があり、これ以上ないと思えるような笑顔で、私に微笑みかけました。
 
 そのとき、同級生は、今まではしていなかった真っ赤な口紅までしてい、車を停めて同乗を勧めれば、確実に乗ってもらえると思いましたが、乗ってもらった後に、私が思い続けていた同級生に、どのような話をしたらよいのか分からず、車を停めて、同級生に声を掛ける勇気は出ませんでした。
 
 その翌日の朝、また、その県道を車で通ると、バス停に同級生の姿があり、今度はバス停から少し離れたところに立っていて、私に微笑みかけました。
 
 それを見て私は、バス停の前では他にもバスを待っている人がいるので、私が車を停めにくいと思って、バス停から少し離れたところに立っているのだと思いましたが、車を停めて、同級生に声を掛ける勇気は出ませんでした。
 
 私に相当な好意を持ってくれていると思える同級生の様々な行為に、私は嬉しくて、嬉しくて、天にも昇るような気持ちでした。
 
 それからは、時間を合わせてバス停の前を通れば、また同級生の姿を見れると思い、時間を合わせて、そのバス停の前を通るようになりました。
 
 今日こそは、バス停でバスを待っている同級生の前で車を停めて、同級生に声を掛けようと決意して家を出ても、思い続けてきた同級生の姿を見ると心臓が高鳴り、体が金縛りのようになってしまい、車のスピードを落とすことさえ出来ませんでした。
 
 県道が渋滞してノロノロ運転になっていて、このまま進むと同級生が立っているバス停の前で、否応なしに車を停めざるをえない状態になりそうなときには、思わず進路を変えて脇道に入ってしまいました。
 
 今日こそは、今日こそはのくり返しで、固く決意して家を出ても、いざその場になると、心臓が高鳴り、体が金縛りのようになってしまい、車を停めて、同級生に声を掛ける勇気は出ませんでした。
 
 私が時間を合わせてバス停の前を頻繁に通ったために、そのバス停にいた別の女性が、私がその女性に好意を持っていると勘違いして、その女性が様々な仕草をしたこともありました。
 
 ときには、バス停でバスを待っている同級生の前に車を停めて、同級生に車の中から同年代の若者が同乗を勧めていて、それを同級生が断っている場面にも出くわしました。
 
 それを見て、もし、私が同じようにすれば、確実に車に乗ってもらえると思いましたが、その勇気は出ませんでした。
 
 
 今日こそは、今日こそはのくり返しで、何の進展もなく歳月が流れました。
 
 このままでは同級生が遠いところへ去ってしまうと、悩み苦しみ続けていたある日のことでした。
 
 街を車で走りながらラジオを聴いていたところ、番組の中でリスナーからのメッセージが紹介されました。
 
 そのメッセージは、「いつまでもいじけていないで、思い切って私の胸に飛び込んできてね」というもので、メッセージの依頼者は「愛知の”まつだ・えりか”」と紹介されました。
 
 そのメッセージの依頼者の名前が同級生と同じ”えりか”だったことと、”愛知”には”愛を知って欲しい”、”まつだ”には”待っている”とのメッセージが込められていたのではと思え、同級生も、私に同じようなな思いを持っていてくれるのでは思いました。
 
 私が、ラジオ番組のメッセージのように、「同級生の胸に思い切って飛び込んでいけば、優しく抱いてもらえるのでは」と思い、手紙を出して私の思いを伝えようと決心しました。
 
 
 
 
 同級生への手紙の書き出しには、
 
 もし、この手紙を見て不愉快になりましたら、読まずに即刻破って棄てて下さい。
 
 貴女に不愉快な思いをさせたことをお詫びいたします。
 
 と書きました。
 
 
 手紙には、
 
 中学の時の同級生が、どれほど素敵で輝いて見えたか。
 
 総てに優れた同級生のことを、どれほど尊敬していたか。
 
 中学のとき、学校で同級生と出会ったときに、いつも緊張していたこと。
 
 総てに優れた同級生とは身分違いとはいえ、今日までどれほど思い続けていたか。
 
 どんなに微笑んでもらっても、同級生の姿を見ると心臓が高鳴り、体が金縛りのようになってしまい、どうしても、声を掛ける勇気が出なかったこと。
 
 そのほか思いつく限りのことを書きました。
 
 同級生のことを思い手紙を書いていると、涙が溢れてきて、涙を拭っても、拭っても涙が溢れてきて涙が止まりませんでした。
 
 
 その手紙を出して、一日千秋の思いで同級生からの電話や手紙を待ちましたが、同級生から電話も手紙も来ませんでした。
 
 私は、「あんなにも微笑んでくれたのに、なぜ電話も手紙もくれないのだろうか」と苦悩しました。
 
 手紙に自殺をほのめかすことを書いたので怒ったのだろうか。
 
 劣等感の塊のような、いじけ切った滅茶苦茶な手紙を出したので、愛想を尽かしたのだろうか。
 
 手紙に住所や氏名を書かずに匿名で出したからだろうかなどと、さまざまな理由を考えて苦悩しました。
 
 匿名の手紙でも、その内容を読めば、私からの手紙だと分かるはずなのに。
 
 私が自殺するかも知れない?と思えば、直ちに電話を掛けてくるはずなのに。
 
 もう、私のことなど見捨てたのだろうかなどと考えて苦悩し続けました。
 
 同級生の真意を知りたくて、いつも同級生がバスを待っていたバス停の前を車で通って見ましたが、そこに同級生の姿はありませんでした。
 
 その苦しさから、夜になると、夜陰に乗じて?、同級生の家の前の道路を車で毎日のように往復し、庭に見慣れない車があると様々なことを想像して悲しい気持ちになり、庭に家の車以外なければホッとする日々でした。
 
 一ヶ月ほどして、このままでは、いつまでも苦しみ続けなければならないと、これを最後と二度目の手紙を出すことにしました。
 
 
 
 
 同級生への二回目の手紙には、
 
 前回の滅茶苦茶な手紙のことを何回も、何回もくり返し詫びた上で、あらためて、中学の時の同級生が、どれほど素敵で輝いて見えたか。
 
 総てに優れた同級生のことを、どれほど尊敬していたか。
 
 中学のとき、学校で同級生と出会ったときに、いつも緊張していたこと。
 
 総てに優れた同級生とは身分違いとはいえ、今日までどれほど思い続けていたか。
 
 どんなに微笑んでもらっても、同級生の姿を見ると心臓が高鳴り、体が金縛りのようになってしまい、どうしても、声を掛ける勇気が出なかったこと。
 
 そのほか思いつく限りのことを書きました。
 
 そして、最後に、片思いでも僕は貴女がとても好きですと書きました。
 
 同級生のことを思い手紙を書いていると、涙が溢れてきて、涙を拭っても、拭っても涙が溢れてきて涙が止まりませんでした。
 
 
 その手紙を出して、一日千秋の思いで同級生からの手紙を待ちましたが、同級生から手紙は来ませんでした。
 
 苦悩し続けたある日、いつも同級生がバスを待っていたバス停の前を車で通りかかると、建物の陰から同級生がバス停に歩み出てきて、初めて私に気付いたかのようにキョトンした顔をして、通り過ぎる私を見ました。
 
 通り過ぎた後で、後方をルームミラーで見ると、同級生は私の方を見続けていました。
 
 同級生のその姿を見て、まだ私のことを心の片隅にでも留め置いてくれていたのだと思い、ホッとしました。
 
 しかし、相変わらず同級生から手紙は来ませんでした。
 
 同級生は、私に返事を書くのが面倒なのだろうかと思ったこともありました。
 
 それなら、アンケート形式の○×で回答してもらう手紙で、同級生に返事をしてもらおうかと考えたこともありました。
 
 
 そんなある日の雨上がりの夕方、クレーン車のオペレーターをしていたクレーンのリース会社からの帰り道、市の中心部を通り過ぎて、同級生がいつも降りていたバス停に近ずき、その手前で信号待ちをした後、車を発進させて徐々に速度を上げながらをバス停を通り過ぎたときのことでした。
 
 曇天のためにもう周りは暗くなっていましたが、車のヘッドライトの光に照らされた歩道を、前方から歩いてくる同級生の姿が見えてきました。
 
 私が同級生に気付くと同時に、同級生も私に気付き、私に気付いた同級生はレインコートに長靴姿にも関わらず、バス停の方向に一目散に駆け出していきました。
 
 同級生の理解できない行動に、私は、脇道を回って同級生が駆けていったバス停に引き返して、同級生に、
 
「そんなに嫌なら嫌と言って下さい」
 
「逃げなくても、危害を加えるつもりはありませんから」
 
「はっきり嫌と言ってくれれば、もう貴女のことは忘れます」
 
 と訴えたい気持ちでいっぱいでしたが、そんなことをする勇気はありませんでした。
 
 後になって思えば、そのときに、そうしていれば、人生が変わって、現在までも続いている苦しみを負わなくても済んだかも知れないと思っています。
 
 
 当時、私の年齢では、普通の会社勤めをしても、総てに優れた同級生と家庭を持つのに充分な収入を得ることは出来ませんでしたので、昼間の仕事でも高収入が得られたクレーン車のオペレーターをしていました。
 
 当時、私は、同級生との生活を夢見て、家庭を持つのに充分な収入を得ようと、移動式クレーン運転士やクレーン運転士を始めさまざまな免許を取得しました。
 
 そのために、遠く離れた地に泊まり込みで免許を取得しに行ったことも、何度かありました。
 
 
 
 
 それからは、心では同級生のことを思い続けていても、同級生から何の返事もないので、もうどうすることも出来ませんでした。
 
 そして月日が流れて数ヶ月後、私が日課にしている散歩に公園に行くと、散歩をしている私の周りに、私のことを知っていると思える何人もの人間が、毎日のように現れるようになりました。
 
 散歩をしている私の周りに現れる人間の中には、同級生の父親と思える中年男の姿もあり、その中年男は、散歩をしている私の周りに毎日のように現れました。
 
 その中年男が、同級生の家の庭にいつも停めてある車に乗っているのを、それ以前に見ていたことと、その中年男の顔が同級生の顔に似ていたこととで、その中年男が同級生の父親だと思いました。
 
 その中年男の容姿や体形に似た何人もの人間は、その中年男の兄弟や父親だと思いました。
 
 私が同級生に出した手紙に対して、同級生は返事を寄越さないのだから、それで終わりのはずなのに、同級生の父親、叔父、祖父などと思える何人もの人間が、私に何を言うでもなく、散歩中の私の周りに毎日のように現れる行為には、道理が通らないと思い、何か異常なものを感じていました。
 
 散歩中の私の周りに、毎日のように現れるような理解に苦しむことなどせずに、同級生に手紙を出すように促すのが筋であり、もし、同級生が、私に返事の手紙を出す気がないのであれば、それで終わりのはずなのにと思いました。
 
 それらの人間は、以前に、私が同級生に出した手紙の中で、「貴女の周りを”ちょろちょろ”して不愉快な思いをさせたことをお詫びいたします」と書いた文言を読んで、逆に、私の周囲をうろついているのだと思いました。
 
 また、その頃、私の家の周りに、同級生の母親と思える中年の婦人の姿が見られたこともありました。
 
 そんなある日、日課にしていた公園での散歩を終えて、公園の駐車場へ戻ると、私の車から少し離れたところに、散歩中の私の周りに現れていた中年男の一人の乗用車が駐車してありました。
 
 その車に目を向けると、後部座席の中央に、髪を長く垂らして、その髪で顔を隠し気味にした若い女が座ってい、何かに怯えたような異様な姿で、生唾を飲み込むような動作をしながら私の方を見ていました。
 
 何かに怯えたようなその姿は、私が、過去に一度も見たことのない異様な人間の姿でした。
 
 その異様な姿の若い女を見た数日後の夜、床に就いてから、あの異様な姿の若い女は何だったのだろうかと考えていて、あることが頭に浮かび、心寂しい気持ちになりました。
 
 それは、私に何度となく微笑み続けていた同級生は、同級生ではなく、同級生の妹だったのでは、そして、あの異様な姿の若い女こそが同級生ではとの思いでした。
 
 
 
 
 そういえば、
 
 同級生に手紙を出した後に、私の自宅の近くで、顔立ちは美人でも無表情な、髪を背中まで長く垂らした若い女を何度か見掛けたことがあった。
 
 バス停や街で見掛けた同級生には、髪が長いときと短いときがあったり、化粧の具合が違っていることがあったり、颯爽とした姿の時と気弱そうな姿の時があった。
 
 中学の時に同級生の顔にあったほくろがなくなっていた。
 
 中学の時に同級生の前歯の一部分が金歯だったのに、微笑んだ同級生の前歯に金歯はなかった。
 
 中学のときに見掛けた同級生の妹は、同級生とよく似た顔をしていた。
 
 まだ中学生だった妹が、街で出会ったときに、私に微笑みかけたことがあったが、その微笑みが、私に微笑み続けた同級生の微笑み方に似ていた。
 
 朝に、同級生をバス停で見掛けるようになったのは春からだった。もし、同級生の妹が高校を卒業して就職したのであれば、同級生をバス停で見掛けるようになった年と重なる。
 
 日曜日に、兄と車で大河川に遊びに行った帰り道、いつも同級生がバスを待っていたバス停を通り過ぎたときに、後方をルームミラーで見たところ、向かいのバス停に、髪を背中まで長く垂らした若い女の姿があり、弱々しく私の車の方を見続けていこともある。
 
 様々なことを冷静に考えると、同級生と思っていた女性が、実は一人ではなく、二人の女性だったのではと思えました。
 
 もし、同級生と信じて疑わなかった同級生が、実は同級生の妹だったとしたら、手紙を出した後、街で同級生を見かけたとき、私に気付いた同級生が、レインコートに長靴姿であるにも関わらず、一目散に駆け出していったことの説明も付くように思いました。
 
 それまでの様々な状況を考えれば考えるほど、私が同級生と信じて疑わなかった同級生が、実は同級生の妹で、前記の異様な姿の若い女こそが本当の同級生ということになります。
 
 しかし、私にとっては受け入れがたい悲しい結論でしたので、私は無理にでも同級生と妹が逆だということを打ち消し、それを忘れようとしました。
 
 
 一度も話したこともなく、名前すら知らない同級生の妹が、私のことをよく知っているかのように、あんなにも微笑み続けるだろうかと思いました。
 
 私に微笑み続けた颯爽とした同級生の姿と、弱々しい同級生の姿を、中学の時に副級長をしていて颯爽と生きていた同級生の姿に照らし合わせてみると、どうしても、私に微笑み続けた颯爽とした同級生が、本当の同級生のように思えました。
 
 もし、私に微笑み続けた颯爽とした同級生が、同級生の妹だとしたら、私が同級生に出した手紙に、同級生の妹が反応するだろうか。
 
 もし、気弱な姿の同級生の方が本当の同級生だったとしたら、その気弱な姿の同級生は、私に一度も微笑んだことがないのに、手紙の中に同級生の素敵な微笑みについて記載してあり、もし、その手紙を読めば人違いであることが分かるはずであり、やはり、私が出した手紙に反応した颯爽とした同級生こそが、本当の同級生ではと思いました。
 
 朝に、同級生をバス停で見掛けるようになった年には、まだ、同級生の妹は高校を卒業していないのでは、それなら同級生の妹を春から見掛けるようになるはずがないと、期待を込めて、何度も、何度も年号を考えて、無理にでも年の計算が合わないことにしようとしてしまいました。
 
 更には、私に微笑み続けた同級生が本当の同級生で、気弱な姿の同級生の方が同級生の妹で、精神病の妹を思って、姉が妹に私を譲ろうとしているのでは。
 
 そのために、私が同級生に手紙を出しても、同級生から返事が来ないのではと思ったこともありました。
 
 また、散歩中の私の周りに毎日のように現れるようになった同級生の父親、叔父、祖父などと思える何人もの人間は、私が同級生に出した手紙を読んだと思え、もし、私に微笑み続けた颯爽とした同級生が、同級生の妹だとしたら、手紙の内容から人違いであることが分かると思いました。
 
 
 
 
 それからも、同級生の父親、叔父、祖父などと思える何人もの人間が、私に何を言うでもなく、公園を散歩中の私の周りに毎日のように現れ続けました。
 
 そして三年の歳月が流れたある日、
 
 交差点で私が信号待ちをしていて、ルームミラーに目をやると、後方からシルバーメタリックの三菱ランサーが近づいてきました。
 
 運転席にはパンチパーマの30代位の中年男、助手席には髪を金髪にした女が乗っていました。
 
 私は、金髪の女を見て水商売の女かと思いました。
 
 その車が私の車の後ろに停まったところで、ルームミラーで金髪の女を見てみると、その金髪の女は以前に私に微笑み続けた同級生でした。
 
 私が同級生に気付くと同時に、同級生も私に気付いて、顔を隠すように大きく俯けてしまいました。
 
 顔を大きく俯けた同級生の顔や耳は見る見る真っ赤になっていきました。
 
 同級生は顔を俯けたままで、隣の男に指図をするかのように盛んに話しかけていました。
 
 その姿は、気の強い妻と、おとなしい夫の夫婦のように見えました。
 
 隣の男に指図をするかのように盛んに話しかけていた同級生の姿は、中学の時に颯爽と生きていて、男にも負けないような気の強い同級生の姿そのままに見え、その同級生こそが、中学の時の同級生だと思いました。
 
 そして信号が青になって車が動き出すと、その車は、直ぐに私から逃れるように脇道に消えていきました。
 
 
 その出来事で、完全に、同級生が遠い所に去ったことを知りました。
 
 そのとき、あの程度の風采の上がらない中年男と結婚するぐらいなら、私を選んだ方が良かったのではと思え、虚しい気持ちになりました。
 
 また、あのシルバーメタリックの三菱ランサーは、以前に、バス停でバスを待っている同級生の前を、私が何度となく通った当時に、私が乗っていたシルバーメタリックの三菱ギャランFTOが、同級生の潜在意識にあって選んだ車ではと思え、悲しい気持ちになりました。
 
 振り返れば、季節外れの春の嵐が吹き荒れる朝、バス停に立っていた同級生は、白いレインコートに白い長靴姿でした。
 
 私が同級生に手紙を出した後に、街で出会った時に、私に気付いた同級生が一目散に駆け出していきましたが、その時も白いレインコートに白い長靴姿でした。
 
 その白いレインコート、白い長靴には、私と同級生が街で出会い始めた頃に、私が乗っていた白い日産チェリーが、同級生の潜在意識にあったのではと思え、悲しく虚しい気持ちになります。
 
 
 前記の出来事で、同級生が遠い所に去ったことを知り、悲しく虚しい気持ちになりました。
 
 あんなにも微笑んでくれたのに、あの微笑みは何だったのだろうか。
 
 私への微笑みは、そんなに軽いものだったのだろうかと虚しい気持ちになりました。
 
 私を見捨てて同級生が遠い所に去った悲しさ、虚しさから、今に大金持ちになって、国立大学出の女医の上に病院長の娘と付く、とびっきりの美人女性と結婚して、私を見捨てた同級生を見返してやるというような気持ちを抱いたこともありました。
 
 
 
 
 そして一年の歳月が流れ、
 
 私は公園の西岸だけの散歩では距離的に物足りなくなり、早朝に西岸を散歩した後、車で東岸に移動し、東岸の公園も散歩するようになっていました。
 
 毎朝、公園の岸に沿った芝生の上を岸に沿って散歩している時に、直ぐ脇の公園道路を、赤いスクーターに乗った若い娘が、スピードを出して走る姿を見掛けるようになりました。
 
 その娘は、毎日、フルフェイスのヘルメットをかぶり、背中まで伸びた髪をなびかせて、他にも走っている自転車や原付を勢い良く追い越して行き、その数分後には、もと来た方向にスピードを出して戻って行きました。
 
 そんなある日、公園の西岸での散歩を終えて公園の駐車場の近くまで戻ってくると、私の前方の岸に、長い髪を背中まで垂らした若い女がしゃがんでいました。
 
 その女の顔は美人ではあるが無表情で、女は前方の水面を見続け、私が近くを通っても、そのまま水面を見続けていました。
 
 そして、その女の直ぐ近くに赤いホンダのスクーターが止めてありました。
 
 私は、その赤いスクーターを見て、公園の東岸の公園道路を、スピードを出して走っていた娘だと気付きました。
 
 後で、あの娘は何だったのだろうかと考えてみました。
 
 今までの様々な状況を考えると、あの娘こそが同級生だと気付き、あの赤いホンダのスクーターは、私が乗っているホンダの赤いシビックに合わせて買ったものではと思いました。
 
 振り返って、それ以前に、私の家の脇の道路をフルフェイスのヘルメットをかぶった娘が、長い髪をなびかせてスクーターで威勢よく走る姿を何度か見ましたが、それも同級生だったと気付きました。
 
 人の行き交う中をスクーターで、あんなにスピードを出して走れるのだから、同級生には判断力があり、それほど病状は悪くないのではと思いました。
 
 しかし、フルフェイスのヘルメットで顔を隠せば威勢よく走れても、その顔を人目に晒すと無表情になるのは、重度の対人恐怖症かとも思いました。
 
 私が手紙を出しても返事を寄越さずにおきながら、何年も経ってから私の前に現れるのは筋違いではと思い、判断力があると思える同級生の、その行動に憤りを感じて公園に散歩に行くのを止めました。
 
 
 
 
 私は公園とは正反対の方向に散歩の場を求め、しばらくは、散歩中の私の周囲に、同級生の一家につながる人間の姿はなく、平穏な日々が続きました。
 
 しかし、その平穏は長くは続きませんでした。
 
 しばらくすると、以前に、公園で散歩中の私の周囲に現れていた人間達が、新しく求めた散歩の場に現れはじめ、私に付きまとっていることが分かるように、分かるようにと行動しました。
 
 その人間達は、散歩中の私の周囲に頻繁に現れ、私に何か言いたげな表情をするだけで、常に無言でした。
 
 私は執拗に付きまとう人間に、「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ」と言いたかった。
 
 もし、「同級生を頼む」とでも言ったら、即座に、「キッパリお断りします」、「アンタも精神病院に入ったらどうですか」と言って終わりになるのだがと思いました。
 
 それからも、月日が経つ毎に散歩中の私の周囲に現れる人間が多くなり、入れ代わり立ち替わり現れ、私に付きまとっていることが分かるように、分かるようにと行動しました。
 
 もう、同級生の一家につながる異常な人間達に付きまとわれることには”うんざり”でした。
 
 その頃には、時々、間違い電話を装った探りの電話も掛かってきました。
 
 いっそのこと、私が散歩に行くのを止めれば、異常に執念深い同級生の一家につながる人間達も付きまといようがありませんが、毎日散歩をしないと運動不足とストレスで気が滅入ってしまい、どうしても散歩を続けざるを得ませんでした。
 
 ストレス解消のために散歩に行って、同級生の一家につながる異常な人間達に付きまとわれて、逆にストレスを増す結果になるとは。
 
 それからは、同級生の一家につながる異常な人間達から逃れるために、様々なところに散歩の場を求め、早朝から車で片道30分も、40分も掛けて遠方に散歩に行くようにしましたが、同級生の一家につながる人間達から完全に逃れることは出来ませんでした。
 
 異常に執念深く、異常に結束力の強い同級生の一家につながる人間達は、地域分担をして、私が散歩しそうなところを、私の車などを目印にして、私を探しているのではと思いました。
 
 同級生の一家につながる人間達の異常に強い結束力に、私は、それらの人間達が、結束力の強い特殊な宗教に入信しているのではと思ったこともありました。
 
 同級生の一家につながる人間達が私に行っている執拗なストーカー行為を、仮に、私に置き換えて、私が同様のことを、私の親兄弟や親戚に依頼したとしても、協力する人は一人もいないと思います。
 
 また、私には、嫌がっている人間にストーカー行為するという思考自体がありません。
 
 
 
 
 そして三年の歳月が流れ、
 
 同級生の一家につながる人間から逃れるためだけで、車で片道30分も、40分もかけて散歩の場に行くのは無駄だと思い、以前のように、近くに散歩の場を求めました。
 
 すると、以前に私の周囲に現れていた、同級生の父親の兄弟と思える中年男(a)、同級生の父親と思っていた中年男(b)(実は、父親の兄弟)、同級生の父親の兄弟と思える中年男(c)などが、以前にも増して、私の気を引くかのように私の周囲を徘徊しました。
 
 その行動は、以前にも増して露骨になり、同級生のことで相当焦っているように見えました。
 
 それからも、私が散歩している周囲に、同級生の一家につながる人間達が執拗に現れ続け、付きまとっていることが分かるように、分かるようにと行動しました。
 
 同級生の一家につながる人間達に取り憑かれたまま、更に二年の歳月が流れ、
 
 その頃になると、私が車を駐車している場所から少し離れた木陰に、シルバーメタリックのホンダ・シティーが必ず私の車に後ろを向けて停まっているのが毎日のように見られ、中年男(d)がリクライニングシートを半分倒して、シートにもたれ掛かった姿勢のままで、ルームミラーで私の方を見ていました。
 
 そして月日が流れたある日、いつものように散歩を終えて戻ってくると、いつものシティーが私の車に正面を向けて停まってい、運転席にパンチパーマの中年男(d)が座っていました。
 
 そして、後部座席の中央に、長い髪を顔の前にまで垂らした女の姿がありました。
 
 その女の姿は、まるで幽霊のようでした。
 
 その女は、髪を右手でわずかに脇に除け、大きく生唾を飲み込むような動作をしながら私を見ました。
 
 その女の顔には表情が無く、まるで能面のようでした。
 
 その女の顔と姿は、以前に公園の駐車場で見た、私に付きまとっていた中年男の車の後部座席に座っていた異様な姿の若い女と同じでした。
 
 その女を見て直ぐに同級生だと気付き、その同級生の姿に哀れみを感じました。
 
 同級生の年齢を考えると、女性が結婚するには、すでに限界に近いと思えました。
 
 私が過去に出した手紙が原因で結婚しないでいるのだろうかと、私は責任を感じました。
 
 同級生の一家につながる人間達が毎日のように私に付きまとい、挙げ句には、同級生を私の前に連れてくるのだから、同級生は軽度の精神病で判断力があって、正常な結婚生活が出来るのだろうかと思いました。
 
 もし、私と結婚すれば心の傷が癒されて、同級生の心の病は治るのだろうかと思い、いつまでも、この様なことをしていても仕方がないと、同級生に最後の手紙を出すことにしました。
 
 そうすれば、同級生の病状の程度を知ることができる。
 
 また、私に微笑み続けた同級生が、本当の同級生だったのか、あるいは、同級生の妹だったのか知ることができ、私の頭の中の”もやもや”も解消し、最終的な結論が出ると思いました。
 
 そして同級生に手紙を出しました。
 
 
 
 
 同級生への、その手紙には、ワープロを使って、A4の用紙、三、四枚にびっしり記載しました。
 
 中学時代に副級長をしていて、美人で颯爽と生きていた同級生のことを、
 
 同級生の様々な思い出を例にして、総てに優れた同級生の、その素晴らしさを讃え、
 
 私が、どれほど尊敬し、どれほど恋い焦がれていたかを記しました。
 
 中学の時から、貴女のような素敵なお姉さんがいたら良いなと思っていました。
 
 常には優しく見守っていてくれて、もし、分からないことを言うときには、思い切り頬をぶってくれたらと思っていました。
 
 その他、中学のとき以来思っていたことを正直に記しました。
 
 また、同じクラスになる以前の小学校の時に見掛けたときから、同級生が綺麗で一際目立っていて、他の女性徒とは違って見えたことなども記しました。
 
 そして、最後に、
 
 今でも貴女のことを心より尊敬しています。
 
 今でも貴女のことを心より思っています。
 
 どうか、貴女の気持ちを教えて下さい。
 
 もし返事を頂けなければ、もう貴女のことは忘れますと結びました。
 
 哀れな同級生のことや、同級生の妹のことを思い出しながらワープロのキーを打っていると、涙が溢れてきて、涙を拭っても、拭っても涙が溢れてきて涙が止まりませんでした。
 
 
 そして、返事を待ちましたが、返事は来ませんでした。
 
 手紙を出した数日後、同級生の一家につながる人間達を避けて、いつもと時間を変えて、散歩をするために散歩の場に向かいました。
 
 すると、その途上で、見覚えのあるシティーが私の前を走っていることに気付きました。
 
 運転席の中年男はルームミラーで私を見、助手席の中年女(同級生ではない)は振り返って私を見ました。
 
 その後、その車は私の道筋からそれて消えました。
 
 そして、いつもの駐車場に着くと、なんと、先ほどのシティーが、私が、いつも車を停める位置の直ぐ横に、私の車に直角になるように、前を私の車に向ける形で停まっていました。
 
 そのあまりにも露骨な行動に怒りを感じ、私は車をUターンさせて別の散歩場所に向かいました。
 
 そして、数日後、いつもの散歩の場に行き、いつもの駐車場とは違う場所に、車を隠すように駐車して散歩した後、農道に出て帰路についた時でした。
 
 私が進んでいく道路と前方で直行する道路を、フルフェイスのヘルメットをかぶり、長い髪をなびかせた女が、赤いスクーターに乗って通り過ぎていきました。
 
 その姿は、以前に公園で見た同級生と同じでした。
 
 同級生は、自分が置かれている立場が分からないのだろうか。
 
 私が出した手紙に返事を寄越さずに、駆け引きをしているつもりだろうか。
 
 同級生は駆け引きを出来る立場にはないのにと怒りを感じ、もう、同級生には哀れみすら持てませんでした。
 
 
 しばらく待っても同級生から手紙の返事がないので、同級生の父親に簡易書留で、
 
「これほどまでに誠意を尽くしているのに、返事が無いのですから、もう、同級生とは一切関わり合いになる意志はありません」
 
「私が本当に同級生を好いているとお思いでしょうか。もう、哀れみすら持てません」
 
「私に精神病の人間を押しつけるつもりでしょうか」
 
「はっきりと、お断りしたのですから、もう、私の周囲を”うろつく”のは迷惑ですから止めて下さい」
 
と伝えました。
 
 同級生の父親に簡易書留で、キッパリと断ったのだから、いくらなんでも、同級生の父親も、もう諦めるかと思いました。
 
 しかし、同級生の一家につながる人間達が、散歩中の私の周囲に毎日のように現れ、私に付きまとっていることが分かるように、分かるようにと行動し続けました。
 
 
 
 
 私は、同級生の一家につながる人間達の異常なまでの執念深さに憤り、散歩場所を毎日無秩序に変えて逃れようとしましたが、同級生の一家につながる人間達は地域分担?をして、必ずと言ってよいほどに、散歩中の私の周囲に現れました。
 
 私は、一人の人間に何人もの人間が付きまとう行為は、まるで弱い者いじめではないかと憤りました。
 
 以前、夜に同級生の家の前の道路を往復したときに、庭に毎日のように違う車が、入れ代わり立ち代わりと、一、二台駐車してあり、毎日色々な人が泊まるのかと思い、つき合いの広い家だと思ったことがありましたが、それらの人間が、手分けをして私に付きまとっているのだろうかとも思いました。
 
 そのとき既に、私は、同級生に関わることは人生を失うことだと確信していました。
 
 また、私が十年近く前に妹と間違えて同級生に出した手紙が原因で、同級生が結婚せずにいるのではなく、精神病のために結婚できないでいるのだと確信しました。
 
 もし、同級生の病状が軽くて、その病状を隠して見合いが出来るものなら、同級生の父親は、そうしているだろうと思いました。
 
 それが出来ないから同級生の一家につながる人間達は、私に対して、全く道理の通らないキチガイじみたことをするのだろうと思いました。
 
 
 同級生の一家につながる人間達の異常なまでの執拗さに、私は同級生の父親に手紙を出し、
 
「先の簡易書留で伝えたように、同級生ならびにアンタ方と関わり合いになる意志は一切無い」
 
「妹を餌にして、途中で精神病の姉にすり替えて、私に精神病の人間を押しつける企みだったのか」
 
「まだ付きまとうのなら、アンタ方のやっていることを世間に公表する」
 
「なお、同級生が見るといけないので封書にした」
 
と、私の意志を伝えました。
 
 しかし、手紙の効果はなく、相変わらず同級生の一家につながる人間達が私に付きまとい続けました。
 
 
 その間にも歳月が流れ、年号は昭和から平成に変わりました。
 
 しかし、同級生の一家につながる人間達は、散歩に行く私に相変わらず執拗に付きまとい続けました。
 
 私は同級生の一家につながる人間達の道理の通らない行為に、憤りを感じるだけで受け入れる余地はなく、繊細な私の神経には耐え難いことで、ストレス以外のなにものでもありませんでした。
 
 私に執拗に付きまとい続ける人間達に対する憤りから、私が死ねば、いくらなんでも、私に付きまといようがないだろうと自殺も考えました。
 
 あっちに行っても、こっちに行っても、散歩に行く度に現れて、付きまとっていることが分かるように、分かるようにされ、頭が変になりそうでした。
 
 同級生の一家につながる人間達に付きまとわれるのが嫌で、嫌で、早朝のまだ真っ暗な時間に、田園地帯の中の農道を、星空を見ながら往復して散歩したり、国道に面した畑地帯の中の農道を、懐中電灯を手に散歩したりした時期もありました。
 
 
 
 
 同級生の一家につながる人間達は、昭和の時代から、平成の時代、そして今日に至るまで、嫌がり拒絶している私に執拗に付きまとい続け、私を苦しめ続けています。
 
 その間には、同級生の父親に、二回も地獄の底に突き落とされ、塗炭の苦しみを味あわされました。
 
 既に、ストーカー規制法が施行されているのに、同級生の一家につながる人間達は、いまだに付きまい続けています。
 
 もはや、どうしようもない状態になっていて、同級生の一家につながる人間達が、私に執拗に付きまとい続けても、私にストレスを与えるだけであり、もう、遠い過去には戻れません。
 
 私に微笑み続けた同級生が、実は、同級生の妹で、本当の同級生は既に精神病になっていたとしても、私が最初に、同級生に手紙を出したときに、親が総てを打ち明けて、私に同級生を委ねていてくれたら、精神病を承知の上で同級生を受け入れて、心からいたわらせてもうことも出来たと思います。
 
 私が最初に、同級生に手紙を出した頃には、気弱な姿の同級生は、気弱ながらもバスに乗って一人で働きに出たり、日曜日には、一人でバスに乗ってどこかに外出したりしてい、そのときに、親が総てを打ち明けて、私に同級生を委ねていてくれたら、違う道もあったのではと思います。
 
 同級生の親には、そうすることの出来る機会があったと思います。
 
 しかし、同級生の一家と、それにつながる人間達は、それをせずに、何を言うでもなく、ただひたすら私に付きまとい続けるだけでした。
 
 総てを打ち明けて、私に同級生を委ねられるような病状ではなかったのか、あるいは、私の考え及ばないような特別な考えが親にあったのか、いずれにしても私には理解できません。
 
 遠い過去から、現在までの同級生の親の行動を考えると、不憫な娘のことを本当に考えていたのだろうか、ひょっとしたら、親の都合によるエゴがあったのではと思ってしまいます。
 
 普通の思考を持った親の元であれば、通院治療などで病状が快方に向かって、人並みの幸せな人生を送ることも出来たかも知れないと思っています。
 
 私へのストーカー行為に、自分の兄弟や親戚、知人など何十人もの人間を動員し、二十年以上にも渡ってストーカー行為を続けている親の行為には、自制心の欠片すら感じられず、同級生の精神病の原因が親にあったのではと思ったこともありました。
 
 中学時代の同級生を考えると、私には同級生が内的要因で精神病になったとは考えられません。
 
 もし、同級生が精神病になった原因をつくった人間がいて、その人間が何の報いも受けずにのうのうと生きていたとしたら、この世には神も仏もないのかと思ってしまいます。
 
 もし、同級生の人生を奪い、私を二十年以上に渡って苦しめ続けた原因をつくった人間がいたとしたら、それ相応の天罰を受けるべきだと思います。
 
 
 もはや、過ぎ去った過去には戻れません。
 
 中学のとき以来の同級生のことを考えても、悲しく、虚しい気持ちになるだけです。
 
 私に微笑み続けた同級生の妹のことを考えても、悲しく、虚しい気持ちになるだけです。
 
 過去には、その悲しさ、虚しさから、同級生が私に微笑み続けてくれた時に勇気を出していたらと、何度となく悔やみ、叶うことなら当時に戻って、もう一度人生をやり直したいと何度となく思いました。
 
 もし、同級生が精神病になることさえなかったならと、つくづく思います。
 
 
 
 

 
 
終わりのない悪夢
 
 
 私に愛嬌を振りまき続けた妹(一面識も無い)と間違えて、精神病の姉(元同級生)に手紙を二回出しただけの落ち度で、昭和53年(1978年)以来、今日(2008年)まで、30年もの長い年月に渡り、精神病の娘(キチガイ婆)を抱えた一家を中心とする何十人もの人間に、全く道理の通らないストーカー行為を際限なくされ、挙げ句には、ストーカーに加担した警官に交番ぐるみでキチガイに仕立てられ、その長年に渡るストレスや憤りの蓄積によって確実に寿命を縮めさせられ、一度しかない人生を狂わせられる程の酷い目に遭うとは。
 
 一面識もない妹が、まるで顔見知りであるかのように私に愛嬌を振りまき続けたのを、同級生だった姉と錯覚して、同級生だった姉が精神病になっている事を知る由もない私が、同級生だった姉に手紙を二回出した事に、どれほどの落ち度があるのだろうか。
 
 なお、私が手紙を出した姉から返事は一切有りませんでした。
 
 恋愛に於いて、世間の常識では、一方が相手に手紙を出して相手から返事がなければ、それで終わりだと思います。
 
 異性関係に於いて、相手の意志を無視して付きまとうストーカーは世間にまま見られますが、その当事者ではなく、その父親の兄弟、祖父、母親をはじめ親戚や知人など何十人もの人間が、相手の意志を無視して30年もの長い年月に渡って、一人の人間に付きまとい続けるようなストーカーは、これまでに聞いたことがありません。
 
 その上、自らの悪事は隠して何度も警察に持ち込み、それで終わりになるかと思えば、どのような思考に因るのか私には全く理解できませんが、自ら警察に持ち込んだ後も際限なくストーカー行為を続けるとは。
 
 まるで自分達だけに人生があって、私には人生も心も無いかのように思っているようです。
 
 それらのストーカーの一族・キチガイの群れが、私には、本当にキチガイに見える。

 
それらのストーカーの一族・キチガイの群れが行っている行為は、『k社』の社長の妾の息子がやっていることと同じだ!
 
 
 
 
 
 
 
子供を絶対に産めない年齢のキチガイ婆に、何の価値が有る!!
 
 全ての動物が自分のDNAを子孫に残す為にカップルに成るのであり、人間も全く同じだ!!
 
 キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れが執拗に行っている犯罪は、己の家で発生した生ゴミを、己の家が汚くなるとのエゴで、赤の他人の家に投げ込むのと同じだ!!
 
 それも生半可な生ゴミではなく、高濃度のダイオキシンやPCB、放射性廃棄物などに汚染された最悪の生ゴミだ!!

 
 
 
 私は、中学の時に颯爽と生きていた元同級生が、内的な要因で精神病になったとは微塵も思っていません。

 生きてきた人生の半分以上を精神病者であり続けてきた元同級生(キチガイ婆)の、中学の時に美人で副級長をしていて颯爽と生きていた姿は幻で、幻でしかなかった元同級生は精神病になった時点で死んで、この世にいないと私は思っています。
 
 今にして思えば、幻でしかなかった元同級生と、たった一年だけ同じクラスになったことが悪夢の始まりでした。
 
 同じクラスになることさえなかったならば、30年もの長い年月に渡って終わりのない悪夢を見続けずに済んだと思います。
 
 
 元同級生には、中学のとき以来今日まで、一度も会ったことも無く、一度も話をしたことも無く、一度も手紙を貰ったことも無く、何一つとして実体が無い上に、精神病の人間(キチガイ婆)を婚姻対象として考える人間がいるかどうか考えれば分かるはずであり、それでも際限なく付きまとい続けるキチガイ婆の一家と、それにつながる人間が本当にキチガイに見える。
 
 元同級生(キチガイ婆)に対しては恋愛感情の欠片すら持っていず、有るのは嫌悪感だけであり、それでも際限なく付きまとい続けるキチガイ婆の一家と、それにつながる人間が本当にキチガイに見え、散歩中に、それらのキチガイの姿を見ただけで吐き気を催す。
 
 もし、キチガイ婆に少しでも価値が有ると思うのなら、嫌がり拒絶している赤の他人に、30年もの長い年月に渡って際限なく付きまとい続けずに、キチガイ婆の一家につながる親戚縁者と結婚させればいい。
 
 もし、キチガイ婆に少しでも価値が有ると思うのなら、嫌がり拒絶している赤の他人に、30年もの長い年月に渡って際限なく付きまとい続けずに他を探せばいい。
 
 世の中には、男も、女も、星の数ほど居る。

 
 
 子供を絶対に産めない年齢のキチガイ婆に、何の価値が有る!!
 
 全ての動物が自分のDNAを子孫に残す為にカップルに成るのであり、人間も全く同じだ!!
 
 キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れが執拗に行っている犯罪は、己の家で発生した生ゴミを、己の家が汚くなるとのエゴで、赤の他人の家に投げ込むのと同じだ!!
 
 それも生半可な生ゴミではなく、高濃度のダイオキシンやPCB、放射性廃棄物などに汚染された最悪の生ゴミだ!!
 
 
 
 こんな道理の通らないことを、30年にも渡って際限なくされ続けられれば、健康的な生活を心掛けている人間でも、ストレスで確実に寿命が縮み、鬱病になる。
 
 嫌がり拒絶し続けている私に、警察庁長官にまで手紙を出されているのに、まだ、キチガイ婆の一家と、それにつながる人間は私に付きまとい続けている。
 
 
 
 
 
 
 30年にも渡って、際限なく付きまとわれ続け、そのストレスで寿命を縮めさせられ、人生を狂わせられる程の酷い目に遭わされるぐらいだったら、疫病神そのものの元同級生が精神病になった時点で死んでいてくれたら、どれほど幸運だっただろうかと、つくづく思う!
 
 30年にも渡って、際限なく付きまとわれ続け、そのストレスで寿命を縮めさせられ、人生を狂わせられる程の酷い目に遭わされるぐらいだったら、他殺であろうが、自殺であろうが、疫病神そのものの元同級生が死んでいてくれたら、どれほど幸運だっただろうかと、つくづく思う!
 
 どれほど無残な最期であっても、とにかく、疫病神そのものの元同級生が死んでいてくれたら、どれほど幸運だっただろうかと、つくづく思う!
 
 たかだかキチガイ婆一匹!!
 
 疫病神そのもののキチガイ婆に、少しでも自分の置かれている立場が分れば、いつかのとっくに自ら命を絶っている!!
 
 自分の置かれている立場が全く分らないのでは、本当にキチガイそのものだ!!
 
 キチガイ婆は、今でも、時々、キチガイ婆の一家につながる人間の車に乗せられて、私が車を駐車した近くや、私の散歩の経路に居る。

 
 「キチガイが!! さっさと死んじまえ!!」
 
 
 30年も経過した今でも、私が早朝散歩に行くと、毎日のように、キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れが、親戚縁者などを何十人と動員して、散歩に行く場所、行く場所に現れて、入れ替わり立ち代わり、際限なく付きまとい続けている。
 
 子供を絶対に産めない年齢のキチガイ婆に、何の価値が有る!!
 
 全ての動物が自分のDNAを子孫に残す為にカップルに成るのであり、人間も全く同じだ!!
 
 キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れが執拗に行っている犯罪は、己の家で発生した生ゴミを、己の家が汚くなるとのエゴで、赤の他人の家に投げ込むのと同じだ!!
 
 それも生半可な生ゴミではなく、高濃度のダイオキシンやPCB、放射性廃棄物などに汚染された最悪の生ゴミだ!!
 
 
 もし、この世に神や仏が存在するのであれば、疫病神そのもののキチガイ婆と、キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れを、この世から一匹残らず消し去ってもらいたい。
 
 もし、神や仏が金で願いを叶えてくれるのであれば、金を払ってでも、疫病神そのもののキチガイ婆と、キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れを、この世から一匹残らず消し去ってもらいたい。

 
 「キチガイ共が!! 1匹残らず、さっさと死んじまえ!!」
 
 
 
 この文面を書き加えた後も、まだ、私が早朝散歩に行くと、毎日のように、キチガイの群れが、親戚縁者などを何十人と動員して、散歩に行く場所、行く場所に現れて、入れ替わり立ち代わり、際限なく付きまとい続けている。
 
 我が家から車で南東に行った田園地帯(主に畑作)に行っても、我が家から車で南東に行った海岸に行っても、我が家から車で北に行った田園地帯に行っても、我が家から車で北西に行った田園地帯や市街地に行っても、○○湖の東岸に行ってもと、私が早朝散歩に行くと、毎日のように、キチガイの群れが、散歩に行く場所、行く場所に現れ、際限なく付きまとい続けている。
 
 キチガイの群れから逃れるには、車で片道30分ほどかけて遠方に散歩に行かなければならず、時間と燃料の無駄であり、こんなことが30年も続いているのでは、本当に膨大な無駄だ!!
 
 赤の他人のキチガイの群れ、犯罪者の群れの為に、毎日、貴重な時間を1時間と、数リットルのガソリンを無駄に使って、遠方に散歩をさせられている私には、疫病神そのもののキチガイ婆と、キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れに憤りしかない !!
 
 キチガイの群れから逃れる為に、1年平均200日、1回の走行距離35Km、30年間と仮定して計算すると、30年間で6000時間を無駄にして、通算して210000Km無駄に走行したことになる。
 
 2008年5月に於いて、レギュラーガソリン1リットル155円で給油している。
 
 完全セルフのガソリンスタンドに給油に行く度に、1リットル80〜90円台の時代に比べたら、随分高いと感じているのに。
 
 赤の他人の為には「びた一文」出したくないというのが人の常であり、赤の他人のキチガイの群れ、犯罪者の群れの為に、毎日、貴重な時間を1時間と、数リットルのガソリンを無駄に使って、遠方に散歩をさせられている私には、疫病神そのもののキチガイ婆と、キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れに憤りしかない !!
 
 
 キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れに際限なく付きまとわれ続け、その嫌悪感や憤りから、私はノイローゼーのようになっていて、今では、散歩中に前方から人が来ると、その人から逃れる為に脇道へと進路を変えたり、車道を挟んだ反対側の歩道に渡ったり、一本道で脇道が無ければ元来た方向に引き返したり、前方から来る人を避けて歩道の端一杯に寄って、「顔をそむけて」すれ違い、その際に相手が挨拶をしても、「顔をしかめて」無言で通り過ぎます。
 
 上記の人の中には、「キチガイの群れ」とは無関係の人が混じっているかもしれませんが、とにかく、キチガイの群れには、姿を見ただけで「吐き気を催し、それだけで体調が悪くなるほどの嫌悪感」を感じてい、人のことなど考える余裕はありません。
 
 キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れが、己らのエゴから、私や世間の人々に、どれほど酷いことをしているのか分からないのか!!

 
 
 もし、この世に神や仏が存在するのであれば、疫病神そのもののキチガイ婆と、キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れを、この世から一匹残らず消し去ってもらいたい。
 
 もし、神や仏が金で願いを叶えてくれるのであれば、金を払ってでも、疫病神そのもののキチガイ婆と、キチガイ婆の一家と、それにつながるキチガイの群れを、この世から一匹残らず消し去ってもらいたい。

 
 「キチガイ共が!! 1匹残らず、さっさと死んじまえ!!」