おかげさまで随分良くなりました。
 
 母は大怪我をしましたが、大勢の方々に治療や看護をして頂いたおかげで、無事退院でき、その後も順調に回復し、現在も更に回復を続けています。
 
 シルバーカーを押してであれば、一回に40分程度散歩でき、気が向けば一日に二回散歩をします。
 
 楽しみが待っている日?の散歩では、普段の私の散歩のペースと同じぐらいの速さで、上記のコースを30分ぐらいで一周します。
 
 元気に成り過ぎて?、既に二回も散歩に行って来たのに、夕方になって、「その辺を歩いてくる」と言うので、私が「もう二回も歩いて来たのだから、三回も歩くのは止めなよ」と言うと、「三回でも、何回でも、体が続く限り歩く」などと言います。
 
 暇で暇で、暇を持て余しているのか、「オメー、車でどっかへ行ってこやせんか」とドライブに誘います。
 
 既に、母を乗せて、○○○湖の南部一帯を回ったり、○○○湖を一周したり、○○○湖の西岸の市を回ったり、大河川を越えて隣の市を巡ったり、さまざまな親戚の家の周辺を回ったりしました。
 
 私が同伴しますが、スーパーマーケットに買い物に行き、「これは安い」、「これは余り安くない」「これは高い」などと言い、お菓子やパンを中心に、さまざまな買い物もします。
 
 食欲が有り過ぎて、食事やお菓子を食べ過ぎて「恰幅」が良くなってしまいました。
 
 私が同伴しましたが、道案内無しで墓参りにも行きました。
 
 ちなみに、私の母の兄弟、母を含めて5人は、百歳を頭に皆さん健在です。
 
 

 
 
 私が同伴しましたが、道案内無しで墓参りに、シルバーカーを押して3回行きました。
 
 私が同伴しましたが、道案内無しで、我が家から600メートルほどの距離の母の兄弟の家に、シルバーカーを押して二回遊びに行きました。
 
 我が家から4〜5キロほどの距離の母の兄弟の家に、シルバーカーを押して、自分一人で行けると言います。
 
 母の実家の近くを車で通ったら、偶然、路上で、実家を継いでいる兄弟と出会い、車を止めて窓越しに私が話をしていると、母は、兄弟に向かって、「これを頼むね」「これを頼むね」と言いました。
 
 大怪我をする以前に、母が、週に5回ほど、シルバーカーを押して、片道20分ほどかけて買い物に行っていたスーパーに、「今から買い物に行ってくる」と言って、以前に買い物に行く際に使っていた、布製の手提げ袋に財布を入れて、自分一人で買い物に行こうとし、その度に、「冷蔵庫が一杯で入らないから」と言って引き止めています。
 
 母が「買い物に行く」と言うのを全て引き止めるのは酷であり、リハビリにもなると思い、売り場の通路の広い全国展開の大型スーパーに、母と車で行っています。
 
 店舗の入り口で、母は、積み重ねられている買い物籠を一つ左手に持ち、重ねて保管してある買い物カートを右手で一台引き出し、買い物カートの上段の籠に、左手の買い物籠を放り上げるようにして載せ、自ら売り場へと向かいます。
 
 母は、買い物カートを押して、売り場内の通路をジグザグに一通り回って、さまざまな買い物をします。
 
 母が買って来る食品と、私が別のスーパーで買って来る食品で、冷蔵庫が一杯になってしまい、隙間を見つけて食品を無理やり入れなければ成りません。
 
 大怪我をする以前のように、寝転がって、新聞を一枚一々バラバラにして読み、テレビの再放送の時代劇やドラマ、ニュースなどを視ますが、それで一日中暇をつぶせる訳ではないので、スケジュール?の無い日には、「いったい、どうすりゃ良いんだ」とぼやいています。
 
 車でドライブに行くと、母の暇つぶしになるとともに、母の脳に刺激が加わって、頭の調子が良くなるようなので、車での散歩の感覚で、さまざまな所にドライブに行きます。
 
 母をドライブに誘うと、「運転するオメーは疲れるが、座って周りを見ているだけだで、 何も疲れやせん」と言い、喜んで応じます。
 
 母が、「よっぽどガスを喰うら」「一時間で幾らぐらいとられる」などと訊くので、「車が小さいから幾らも掛らないよ」と答えています。
 
 ○○○湖を左回りで4周、右回りで1周しました。
 
 ○○○湖の北岸を走行していると、9月下旬現在、黄色く色付き始めた露地物の極早生の温州みかんが、道路脇の無人販売所に並んでい、私が、「もう、露地物の温州みかんを売っている」と言うと、母は、「そうかー、この辺は本場だからなあ」と答えました。
 
 ○○○湖に架かるさまざまな橋を通って、湖に浮かぶ島や湖の周辺の地域を、何度となく巡り、隣県の市までも巡りました。
 
 当市の南部や中部、○○○湖の西岸地域、当市の東に在る大河川の東岸地域などを、何度となく巡り、もう、同じ道を何度となくと通ってい、母に飽きられそうです。
 
 ドライブ中に、母が「あれは何だ」と、さまざまなものを指して訊くので、「あれはホテル」、「あれはマンション」、「あれは何々の工場」、「あれはスーパー」、「あれは○○○湖」、「あれは□□□□□川」などと答えます。
 
 ドライブ中に、エンジン草刈機を使って、大勢の人々が歩道の脇の草刈をしているのを見て、私が「勤労奉仕みたい」と言うと、母は「日曜日だからなあ」と答えました。
 
 地震の数日後に、御前崎の方にもドライブに行って来ました。
 
 伊良湖岬経由で、渥美半島も一周して来ました。
 
 大怪我で、救急車で病院に運ばれた後の頭部CT画像を見、ICUのベットで意識不明の昏睡状態の母を見、その後も、長い日にちに渡り重度の意識障害が続いた母を見、手術の後には、一時的に左腕が麻痺して動かなくなったりし、手術の後も重度の意識障害が続き、約二ヶ月に渡った入院期間の多くの間、口から食べられずに、鼻から胃に入れたチューブによる流動食で過ごし、一時は寝たきりに成ってしまう事も危惧された母が、私が運転する車の助手席に乗って、ドライブを楽しむことが出来るようになることなど、入院中には予想も出来ませんでした。
 
 元々、最も気に入っているドライブコースの一つの、渥美半島一周の途中、母と話をしながら景色の良い所を走っていると、幸せな気持ちになり、目に涙が滲んできました。
 
 伊良湖岬の北方に、海岸に沿って延びる堤防道路を、「ここが伊勢湾」、「あっちが三重県」、「あっちが名古屋の方」などと話しながら走っていると幸せな気持ちになりました。
 
 優秀な先生や、優しくて綺麗な、まるで天子のような方々に、治療や看護をして頂いたおかげで、無事退院でき、心から感謝しています。
 
 その後も、大勢の方々の助けや励ましのおかげで、順調に回復し、CTが有ることで選んだ、神経内科で処方して頂いている薬の効果も加わって、現在も更に回復を続けてい、心から感謝しています。
 
 ドライブ中に、十数階建ての高層マンションの脇の道路を通ると、母は、楽しそうに笑いながら「高い建物だなあ」と言います。
 
 大怪我の後遺症の為か、退院してきた当初は、寝相が悪く、一晩の間に、あっちを向いたり、こっちを向いたりと、さまざまな方向を向いて寝てい、布団の横幅方向に寝ていることもありましたが、徐々に寝相が良くなってきて、左右に寝返りをうって寝る程度になりました。
 
 9月現在、午前5時頃には起床して、二人掛けのソファーの上に、掛け布団、敷布団、マットレス、枕と、綺麗に折り畳んで順に積み上げて、自分で寝床を片付けてしまいます。
 
 食事の量が多過ぎて、母が、食べ切れずに後で食べようとして残した豆腐の味噌汁などを、私が捨てようとすると、「オメーは何でも捨てる、捨てると言うが、罰が当る」と言って、私が持っている器を強引に奪い取り、その力の強さに驚きます。
 
 大怪我の後遺症はあっても、いまさら現役で頑張らなければらない歳でもないので、母と暮らせて幸せです。
 
 
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